村山士郎先生(大東文化大学名誉教授)からコンサートのコメントをいただきました。
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「きたはらいくコンサートに期待する」
「きたはらいくコンサート2017」が100名を超える参加者で成功した。彼女の歌手としての新しい飛躍になる機会になったと思う。参加者も彼女の歌声にこころを寄せ、温かい気持ちになって帰ってもらえたように思う。歌手としてさらにおおきく飛び立って欲しいと願うだけである。以下、コンサートへの感想をのべてみたい。
1)彼女の人間性と純粋性が、詩にこめられた情動に響き合う
子どもの詩に曲をつけて歌うという活動は、彼女が初めてではないだろう。しかし、彼女の曲を聴いていると、子どものつぶやきや叫びに込められていた心の波動がリズムやメロディーに増幅されて、きたはらいくという人間性をとおして私たちに届けられるように思う。彼女の人間性のしなやかさと純粋性がことばにこめられた情動に響き合っておもてにあらわれ伝えられるように思える。
そこに、子どもの詩やことばを文字を通して読むこととは異なる世界が開かれているように思える。あらためて子どもの表現を読むとはどういうことか、新しい刺激を与えている。
2)生活感情の世界を音(リズムとメロディー)で読みとる直感性
福島の作品「おとうさんにあいたかった」を福島でうたったとき会場中が涙したシーンを私は見ているが、それは「お父さんにあいたかった」ということばに込められたゆきかさんの心の重さを、きたはらがどこかで感じ取って曲にのせていったとこと無関係ではない。それは、「お父さんにあいたかった」にこめられた生活感情の世界を音(リズムとメロディー)で読み取って表現していったきたはらの直感性のすごさであろう。
2月19日のコンサートでは会場で涙した人はいなかったかもしれない。それはいい悪いの問題ではない。それは、「あいたかった」ということばに込められた福島の先生たちと主に関東に住む私たちの生活感情の違いであろう。
3)閉じている心を一瞬にして開かせる力
きたはらは「詩の中にある子どものつぶやきや叫びに触れたとき、閉じていた心を一瞬で開いてくれる、音楽の力に気づかされる」と述べている。そこには、きたはらが子どもの詩に曲をつけて歌うという活動を教育実践として意識していることがわかる。彼女は、いわゆる大変な学年や高学年の音楽発表会を成功させている。そして、今回は1年生の男の子が「パパのふとん」を大好きになって「詩をノートに書き写して家でもうたっている」ことが報告されている。そこに、「学校でこまっている子どもたち」の心にまっすぐ訴え、響かせていくきたはらの今日の教師としての存在価値が発揮されているのだと思う。
「閉じている心を一瞬にして開かせる」(現代の教師なら誰しもがほしい教師力)、そこに彼女の歌を通した教育実践の魅力があると思える。
4)ライブという新しい実践報告のスタイル
きたはらいくのコンサートは、教師としての新しい実践報告のスタイルを切り開こうとしているのではないか。
4つの視点は、今回のコンサートで十分に発揮されたかといえば、まだまだ発展途上であるが、その可能性に私たちは期待したい。
(村山士郎)